プロフィール

About me.

改めましてヒラケンこと平野賢といいます。

1980年4月8日生まれで、和歌山県出身です。

2021年現在、41歳です。

僕が走り始めたのが小学生の頃から(つまり30年以上も前になります笑)ですが、39歳を超えてから自己ベストを大きく更新できるようになりました。

中学生の頃に陸上部だったのですが、その頃を超えることは一生ないだろうと20代、30代の頃は思っていました。

それが、40歳を超えてから中学生の自分超えができて、年齢に関係なくまだまだいけるのではと思っています。

僕が走り始めることになった小学生の頃から振り返ってみたいと思います。

History
小学生の頃

小学1年生の頃、校内のマラソン大会で8位だったことが悔しくて、それから毎朝2km走るようになりました。

小学2年生の時に1位になり、練習すれば結果につながるんだと小さいながら実感したことを覚えています。

小学校6年生の時に当時S&Bちびっこマラソンという大会があり、県で1位になりはじめて全国大会に出場しました。

大きな舞台のスタートラインにたったとき、これまで感じたことのない緊張を味わいました。

大きな緊張を乗り越え、7位に入り自分の走りは全国でも通用する!とすごく自信につながりました。

小学6年生当時、3kmが9分52秒だったと記憶しています。

ぼんやりとではありますが、箱根駅伝を走るんだと心のどこかで決めてはいました。

History
中学生の頃

地元の中学校に入り、もちろん陸上部に所属しました。

当時その学校は県でも1位、2位を争うくらい良い選手が揃っていました。とはいえ、陸上部はあまり人気がなく、少数精鋭という感じでした。実際僕の学年で陸上部(長距離)に入ったのは2人だけでした。。。

個人としては、小学校の頃からの実績をいかし(?)県で1位をとるレベルでした。

ただ、全国大会に出場するには標準タイムというのがあり、僕は残念ながら中学3年間において一度もその標準タイムを
切ることができませんでした。

1500mを専門にやっており、自己ベストは4分13秒です。当時は4分12秒で全国大会に出場できたので本当にあと少しのところでした。

個人では出場できませんでしたが、駅伝ではなんとか全国に出たいと思っておりましたが、こちらも残念ながら県で1位になることが
できず、結局中学校の頃は全国大会を経験することがありませんでした。

これは僕にとっては大きな挫折でもありました。

とはいえ、箱根駅伝に出場するという目標はより明確になっていました。

そんな中、父親に「陸上でご飯を食べていくのは難しい。勉強をしっかりがんばった方が良い。」と言われ、箱根駅伝に出た後のことを明確に思い描いていなかった自分には反論ができず、まずは勉強を頑張ろうと気持ちを切り替えました。

簡単に気持ちを切り替えたわけではありませんが、全国大会に出ることができなかったという後ろめたさは多少あったのは事実です。

History
大学生の頃

高校生の頃は勉強をがんばっていた(というか授業が毎日18時くらいまであった)ので本当に近所をジョギングするくらいでした。

大学に入ってからも、しばらくは走っていませんでした。大学1年の頃はテニスサークルに所属していました。

と言ってもテニスサークルでもほとんどテニスはしていませんでしたが。。。

大学2年生になり、語学の同じクラスで陸上サークルに所属している友人に声をかけてもらい、陸上サークルに所属しました。

そのサークルで本当に久しぶりに5000mに出場したのを覚えています。練習はほとんどしていませんでしたが、

それでも18分くらいはきれるだろうと高をくくっていました。実際には18分30秒と思った以上に走れなくなっておりショックを受けました。

結構楽しいサークル生活を過ごしていましたが、2年生から入ったというなんとなく後ろめたさがあり、自分から距離をおくようになってしまいました。

これは今でも後悔しています。

この時サークルを続けていれば、もっと陸上に対しても、その後の人生に対しても変化があったかもしれないと・・・。

WindRunを立ち上げて

大学生の頃、陸上サークルを続けていれば・・・というのはありましたが、一方でサークルを続けていなかったからこそ、

自分でランニングサークルを立ち上げようという気持ちになりました。

そして、このWindRunを軸に自分の人生が動いていったと思います。

ランニングにおいては、WindRunメンバーでタイムを突き詰めてやっている人たちにすごく良い刺激をもらいました。

それが、40代になっても自己ベストを目指そうと思える原動力になっています。

元々それほど好きではなかった(そもそも得意ではなかった)フルマラソンにチャレンジして、

しかもフルマラソン1歳刻みランキングで1桁を狙っていこうと思うようになったのはWindRunのおかげです。

一方でファンランの楽しみ方も学びました。

みんなでロゲイニングしたり、ゆっくりジョギングしながら美味しいお店のパンやお菓子を食べたりと、一人で走っていたら

絶対に経験することはなかったであろうことをメンバーみんなで共有するというのは新鮮で、

結果的にこのWindRunで様々なレベル・目的の人から一目を置かれるようになりたい、つまりトップレベルで走りたいと思えました。

36歳からの
フルマラソンチャレンジ

36歳当時、サブスリーは達成していましたが、それで満足というか、フルマラソンはもう2度とやるまいと心に誓っておりました。

しかし、WindRunでは、「フルマラソンのタイムが何分か」がみんな気にするところがあり、フルマラソン至上主義(そこまでたいそうなことではないですが・・・)みたいな感覚を覚えたので、WindRunの代表としてフルマラソンのベストタイムを更新していかなければと36歳になってから気持ちを新たにしました。

その結果、フルマラソンではそれまでのベストタイムであった2時間51分を大幅に更新し、2時間34分(2019年、当時39歳)まであげることができました。

フルマラソンの練習の成果が他の距離にもあらわれており、36歳以降でハーフ、10km、5000m、3000mで自己ベストを更新、1500mでも中学生の頃の自分の記録に迫る4分14秒で走れるようになりました。

タイムについて整理すると以下の通りです。

フルマラソン

開催年年齢大会名タイム
2009年29歳第29回つくばマラソン02:51:21
2017年37歳第2回水戸黄門漫遊マラソン02:47:41
2018年37歳東京マラソン201802:48:28
2018年38歳大阪マラソン201802:44:16
2019年38歳東京マラソン201902:39:40
2019年39歳第39回つくばマラソン02:34:08
2020年39歳第69回別府大分毎日マラソン02:37:48
2021年41歳第35回青島太平洋マラソン02:34:43
2022年42歳第53回防府読売マラソン02:32:31(PB)

ハーフマラソン

開催年年齢大会名タイム
2011年31歳シティマラソン福岡201101:18:36
2016年36歳第22回手賀沼エコマラソン01:16:34
2019年39歳イヤーエンドマラソン01:12:52
2020年39歳第21回ハイテクハーフマラソン01:12:06
2022年41歳第22回ハイテクハーフマラソン01:11:25(PB)

5000m

開催年年齢大会名タイム
2019年39歳オトナのタイムトライアル16:07
2019年39歳秋季陸上15:59
2020年40歳MKディスタンスチャレンジ15:28(PB)
2021年40歳オトナのタイムトライアル15:40

3000m

開催年年齢大会名タイム
2020年40歳MKディスタンスチャレンジ09:00
2021年41歳MKディスタンスチャレンジ08:58(PB)

1500m

開催年年齢大会名タイム
1995年15歳近畿大会04:13:82
2020年40歳MKディスタンスチャレンジ04:14
2020年40歳オトナのタイムトライアル04:17
2021年41歳オトナのタイムトライアル04:13:8(PB)

仕事のこと

中学生の頃、父親に「陸上でご飯を食べていくことは難しい」と言われ、それが心のどこかで引っかかっていました。

とはいえ、ランニング関係の仕事につくという選択肢は就職するタイミングではありませんでした。

明確にランニング関係の仕事をしたいと思ったのは、WindRunで開催した駅伝大会「駅伝パーティ」がきっかけでした。

第1回大会は2000名以上のランナーに参加していただき、大会終了後の交流会にも100名以上が参加してくれました。

多くのランナーの笑顔をみることができて、自分自身が走ることも好きだけど、走るのは楽しいと多くのランナーが感じてくれることも大きな充実感を得られる、こういうことを仕事にできると良いなと思いました。

自分の登る山を決めたら半分は登ったようなものという孫さんの言葉がありますが、僕にとって登る山は「ランニング革命を成し遂げる」ということだと決心し、ランニング関係の仕事に34歳から携わっています。

マラソン大会、駅伝大会の企画運営、エントリーサービスの営業・システム運用、ランナー向けSNSサービスの企画・運用とランニングに関する仕事は一通り経験することができました。

実際にやってみることで、理想と現実のギャップに苦しむこともありました。

それでもなんとか乗り越えてこれたのはやっぱり走るのが好きだということがあったからです。

ランニングとITを絡めてより多くのランナーに新しい体験を提供したいという思いから、2021年現在は走り方をセンサーで計測するスマートシューズを開発する会社でプロダクトマネージャーとして働いています。

もちろん、苦しいこともたくさんありますが、自分の登る山をしっかりと一歩一歩着実に登っていきたいと思います。

仕事でやってきたことなど